僕はナンパをしている

僕は2年前からナンパを始めた。ナンパを始めたと言っても元々ナンパみたいなものはしていた。週末の夜に地元の友達とクラブに出かけ、そこの箱にいる子達に話しかける、「一緒に飲まへん?」そして酒を奢りLINEを聞き後日デートしたり、そういうレベルだ。ストリートナンパ、つまり街で見知らぬ女の子に声を掛ける、そういう僕の今思うナンパは経験したことがなかった。

東京に来てからは仕事が忙しくてナンパどころではなかったが余裕が出てくるとやはり元々遊び人気質だった僕は女の子と遊びたくなってきた。そんな時たまたまネットで東京 ナンパと調べてみた。そしてナンパ師の存在を知った。街で見知らぬ女の子に声を掛けその日のうちにセックスをする=ナンパ師。僕は興奮した。でも、まあ彼女を作るきっかけにしよう、それを目標にナンパを始めよう、いや、待てよ、セックスもしたい、いろんな女の子と遊びたい。それで彼女ができたら儲けもんじゃね?そんな気持ちでナンパを始めた。


それから2年が過ぎようとしている。僕に彼女はいない。4人のセフレと40人ほどの経験人数増えただけだ。かといってチャンスが無かったわけではない。2017年も5回ほど?チャンスはあった。ただ好きになりそうな女の子ができたとしても、その女の子が純粋すぎると僕から身を引いた。純粋で擦れていない女の子がタイプなのに、僕から身を引いた。なぜなら僕は間違いなく浮気をする、だから彼女を傷つける、連絡をやめよう。そんな意味のわからない理由だ。2年前なら間違いなく告白していた。これからストリートで出会うかもしれない女の子は声掛けの数と比例する。もうちょっと胸があって、遊びも知ってて、束縛もしなくて、頭も良くて、そうやって傲慢なワガママな頭から垂れてくる、自分の価値を棚に置いて。僕はブサイクと自覚はあるが喋りはまあまあできるのでそこそこ可愛い子からも連絡先も聞き出せるし、後日ベットを共にすることもままある。それでも彼女はできない。


去年の暮れ、ナンパ友達の東京千秋と渋谷でナンパをして何件か連絡先をゲットできた。そのうち運よく1番タイプの女の子と年明けにアポを組める事になった。

銀座で待ち合わせ、スペインバルで食事をし、馴染みにバーに行き、家の近くの東京タワーが綺麗に見える所までタクシーでいく、キス、家に搬送、セックス。いつも通りの完璧な流れ。その日僕が付き合いたいと思う女の子は僕の部屋に泊まることになった。

僕は付き合えるのだと思った。次会う時は普通に食事をして、帰り際に告白しようそう思い描いた。

彼女が僕の家をでて数時間後LINEがきた。「また会いたい。」とスマホに表示されている。「僕もだ」と返事をする。「生理が終わったらすぐ駆けつけますね。」ん???

そう僕が付き合いたいと思う女の子は僕をセフレにしか思っていなかった。と言うより僕がそういう態度を取っていた。僕が用意したデートプランはセックスに至るまでの過程をより効率的に効果的に濃縮したものなのだから仕方ない。むしろ、狙い通りだ、喜べ。だから彼女にとって僕は自分が気持ち良くなれる丁度イイ男でしか見ていなかった、最初から。


しかしまあ、少しやり方を変えなきゃいけないなぁ、彼女を作るることが大前提。そんなことを思ったから、忘れないために書いた。ただそれだけの記事だ。2年ナンパをやって遠くまで来てしまったんだなあ…そうやって悦に浸っている記事ではなく、2年も違う道を遠くまで来てしまったんだなあ…そう自業自得を客観視しているものだ。


さあまた1からナンパでもすっか。

机上の空論や議論は糞にもならないからやるしかない。









心を切り売りする、またオカマに性器をしゃぶられることについて

僕は中世の貴族でもアラブの石油王でもないから、毎日生きる為の金を稼ぎに職場に出勤して文字通り身を切り売りしている。大企業の会長も毎日ゴルフ接待やなんやらで楽しいんだろうけど、若い時にリスク背負って開業、起業して身を切り売りしてきたと思う。自分が好きで好きでたまらない仕事でもそうだと思う。

ただ僕はこの「身を切り売り」するという言葉には上記のような意味もあるだろうけど、なんとなく違うような気がする。僕は貧しい国の子供が食べる物でやっとな状況下で学校へも行けず家族の為に地下25メートルまでいつ崩れてきてもおかしくないような小さな穴を掘って、酸素不足で死んでしまう事が当たり前のような環境で働いたり、生きたりすることだと思う。それはとても体を削る。


オカマに性器をしゃぶられることはどうだろう?僕は僕の使う意味での身を切り売りすることだと思う。何を売るか?それは心だ。

風俗嬢は汚いおっさんの性器を毎日しゃぶってる。推測でしかないがお金を心で買っているのではないかと思う。お金が入ってくるたびに体から心も少しずつ消えていくのかな。ひたひたにシチューに浸かったパンみたいに心もぐちゃぐちゃになっているのかなあ。


実は僕は先日オカマに性器をしゃぶられそうになったんだ。それもわりと権力のあるオカマにね、しかしなんでファッション業界や芸能関係には権力のあるオカマがいるんだろうなあ。どちらもファッションも芸能も根はアングラな世界だからオカマは強いんだろうと思う。彼らは失う物が普通の人の何倍もない、オカマで人生やっていくにはそれ相応の覚悟がいるからね。失う物がない人間が一番前へ進めて一番ハングリーだし。こいつにちんこしゃぶらせたらいくら貰えるんだろうなあ、と思いながら僕はその時はノンケなんですよ、と断った。僕がその時の自分の心境の変化で面白かったのは誘惑ってのは引力だと思った。権力のあるオカマだったから可愛がられるとかなり人生変わってくるんだよね、それこそ自分の力では到底会うことの出来ない人なんかに一瞬でアクセスできる、そうなればビジネスもイージーモードだし東京遊びが桁違いに楽しくなる。モデルや可愛いチャンネーと騒げるんだ、それこそ自分が崩壊してしまうくらいにね。だから「ちんこしゃぶられせてくれる?」と性器をオカマに触られながら耳元で囁かれた時、猛烈に誘惑に引きつけられた、巨大な巨大な力に引きつけられた。それは酩酊した時に頭がフラフラになるような感覚、磁石がお互い否応なしにくっつき合う感覚、頭の中から魂が抜かれるような感覚、それらが同時に僕を引きつけてきた。あの感覚は不思議だったし25年生きてきて初めてだった。それと同時に怖くもあった。そりゃあ怖いよ。だっていきなり自分の生活が変わってしまうかもしれないんだから、当然周りから変な噂が立って後ろ指を差されるだろう。そこもやっていけるか不安だった。いろんな思いが頭の中を交差してぶつかって壊れてまた生まれてを繰り返した。




僕は次そのオカマにちんこしゃぶられせてやろうと思う。この東京で東京やり方で身を切り売りしてやる。俺は高くつくぞオマカ野郎。

僕の親父の生き方。

f:id:nanpa-miyamoto:20170922010049j:plain僕が生まれた時、僕の親父は30代後半だった。親父は遅くに結婚をした。両親にはあまり詳しく結婚に至るまでの経緯を訊いたことはないんだけど、多分お見合い結婚なのかあと勝手に想像している。

親父はほとんど自分で商売をするまでほとんど定職に就いたことがなかったらしい、就職しても続かず、少し続いてもよくサボって怒られて、クビになってたらしい。そんな感じでずっと、まるで斜めから自分の人生を俯瞰してる様な生き方をしている、今も。

親父の親父、つまり僕のおじいちゃんは戦争に行って帰って来てから関西で商売人になった。田舎のツテで繊維工業に明るかったから、地元からごっそり衣類なんかを運んで闇市で売りばく、その繰り返しでそこそこのお金持ちになった。だから親父は僕と同じで子供の頃からお金に困ったことがなかった。家のペットはシェパードで別荘もあった。多分なんでも、買ってもらったんだろう。よくおじいちゃんは僕に「あいつは金の価値がわかっとらん、おばあちゃんが甘やかしすぎた」とボヤいていた。おじいちゃんは品物を持って来れば飛ぶ様に売れる環境で商売をしたから売れるのは当たり前だろうと思ってしまうけど闇市だから危険はたくさんあり警察に捕まって逃げたり不良外国人に殺されそうになったりしたらしい。だから、文字通り命がけで稼いだとも言える。

そう考えると僕自身もお金の価値なんてわかってないんだろうなと思う。


親父はおじいちゃんが稼いだ金で国立の幼稚舎に入ってエスカレーターで高校まで卒業した。


親父はそのことに関しては自分からは言わなかった。僕ならそんな名門校に幼稚舎から通ってるなんて自慢以外のなんでもないと思うんだけど、親父は言わなかった。

初めて親父の学歴を訊いたのは高校の受験勉強の時に数学の問題、国語の問題を全てスラスラ解いたから「すげえな」と思った時。確かに家の倉庫には本が山ほど積んであって普段から読んでいる新聞もNYタイムズ紙だったり知的欲求も高く、なんでも知っていた、なんでもだ。小さい頃に疑問に思ったことには全て回答してくれた、「わからない、後にして」なんて言われたことが無く、わからないことでも自分で調べて教えてくれた。


そう親父は頭がすこぶる良かった。

そこで疑問が生まれた。直接訊いた事はないけど、親父はなんでこんな頭がキレるのにニートなんでなの?と。大学、大学院と通って高度成長期真っ只中だから大企業から引く手数多だったんじゃないかなと思う。

でも、僕は答えを知っている。そう訊くとこう答えると思う。


「ねんどくさいしおもろないやろ」


そう言うと思う。これが僕の親父の生き方の根源だと思う。親父はやりたことや興味のあることしかやらない主義なのだ。


僕は親父の生き方を小さい時は恥じらっていた。なぜなら俺が小学四年生の時には商売をたたんでいて、家にずっといたから。想像もして欲しい、自分の親の仕事は何?と話題に上がった小学四年生の気持ちを。しかし生活は母親が教師だからお金には困っていなかったと思う。そう、そこも恥じらう原因となっていた。親父が働かないのは母親が教師だからだと思っていたし、多分そうだった。うちのお母さんが稼いでくれてるから俺は働かない。

今となっては「流石、親父、筋通ってんなあwww」と草が生えるが、当時は父親がずっと家にいるニートだと友達には言えなかった。


ただ親父がニートで悪い点ばかりではない。親父は僕とめちゃくちゃに遊んでくれた。一緒に二人だけでカブトムシを採りに行くためだけに旅行に行ったり、釣りに行ったり、してくれた。もちろん家でも遊んでくれたし、受験勉強の時は大変力になってくれた。


僕は親父を恥じらう気持ちもあったが生まれた時から親父を気に入っている。親父とはウマが合う、趣味も考え方も性格もとてもとても似ている。性格も穏やかで酒もタバコもやらない、夜遊びもしない、浪費癖もない。社交的ではあるけど1人が好きで早朝にベランダでコーヒーを飲みながら本を読んでいる、実にカッコイイと思う。ちなみに啓発本やプレジデントなんかの意識高い系を読むとアレルギーがでるらしい。本当に心の底から働きたくないと思っているのだ。実際商売をやめて以来、働きたくないから一切働いていない、実に筋が通ったお話だとも思う。


母親に「あの人どう思う?」と訊いても「あの人はこういう人」と前向きに諦めて自分で稼いできてくれる。


それは多分親父もニートなり頑張ってるからだと思う。急な子供達の用事や、普段の家事なんかは全て親父がやっていた。まさに専業主夫の先駆けだった。それと1番は親父は感謝の言葉を言える点だと思う。時々親父は母親のことを僕たち兄弟の前で褒める事があって「お母さんのこういうところが気に入ってる」とか「お母さんはお前たちを生むために命がけで頑張ったんだよ」と母親を褒めた。当時は全く何も感じなかったけど家族が仲良く過ごせている大きな要因だと思う。親父まじでカッコイイ。


僕は今の属している業界で独立することを望んでいる。独立して売れる、そして、それが現実のものになるためにそれまでに至るプロセスを励んでいる。そうやって必死に働く僕のことを親父は大変喜んで応援してくれている。これは意外なことではない、親父は自分が働いていないから自分以外の人間の勤勉さを尊び、素晴らしいと思うのだ。それに親父は「親の逆を行くのが息子ってもんだ、俺はおじいちゃんが働いたから俺はフラフラしていた、今度はその逆だ」と言っている。いやーもう実に清々しいと思える。「社畜になんかなるな、そう育てた覚えはない」確かにそう育てられた。自分の力で生きろと、そう運だけで生きてきた男にそう育てられた。


そして実は親父は60を超えた今年から大学生になった。短大の社会人コースというものがあるそうだ。何故いま大学に?と訊くと「暇だから英検一級を取ろうと思って」と言っていた。時々親父からLINEがくるが女子大生とも上手くやっているみたいで楽しそうだ。歳をとっても学びたいと思える意欲を失っていない親父はカッコイイ。親父…やっぱカッコイイよ。


そんな限りなくクズ寄りの自称高等遊民である親父の生き方を尊敬しつつ僕は逆の生き方、つまりバリバリ働いて資本主義のハリケーンの中に突っ込んでいこうと思う。


どちらの生き方がダメだとか素晴らしいだとかそういうことではなくて「これが自分の生き方なのだ」と、そう胸を張って生きることが大切なのだと僕はクズ寄りの自称高等遊民との交流によって感じた。


おわり。

これから生きていこうと思う

いきなりなんだけど僕が東京に来た理由はすごく単純でただただ目立って金を稼ぎたかったからっていう滅茶苦茶にオスな理由でございまして、あとは今僕が属している業界で自分がどこまで山登りできるのか試したいし一億万がいち頂上迄いけちゃったりしたらどうしよう…ウフフ…って超甘ったるい考えだった。

まあ21歳が考えそうなことだよね。19歳から仕事を始めたから2年目の時のそう思って地元は関西から出てきたわけ。


で、東京にでてきて仕事して分かったことと云うか悟ったって言って方が正確か、アレなんよな。「なりたい自分になるのはもっとあとのことだな」と、そう僕は悟った。


「こうなりたい」とか「ああなりたいとか」崇高なる考えは2兆年早いなと。まず、自分が属してる業界で生き残ることが最優先事項であると。身も蓋も夢もない話だけど25歳になってそういう結論がでた。


例えば、ほら、バフェットもゲイツもすげー巨額の金を寄付してるのも金が余りまくって銀行口座でそいつらが唸りまくってるから寄付してる訳で…。やっぱり彼らも事業始めた頃は100万%自分の為に稼いでたはずで、金を世間に還元したいとか人の為世の為に働いて自分の生きてる意味を見出したいみたい崇高なる考えは1ミクロンも無かったと思うし「こうなりたい」「ああなりたい」って考えもなかったと思う。目の前の仕事にガッツいて結果出そうとしてたんだと思う。


僕がジャンル問わずなんだけど本読んでるのも結局は生きる為かもしれないなって思う。知識頭にぶち込んで生きる為に活用する。結局金稼がないと物理的に生きれないんよな。金ないと飯も食えないし。そら生活保護とか受けれるんだろうけど、そういう話じゃなくてさ。僕は生きたいんだよ、自分で金稼いで生きたい。


今、ブログ書いてるのも将来何らかの形で連載もらえたりするかも?みたいな甘々な考えがあって、書く練習だったりもする。備えあれば憂いなしって言うでしょ?ただ文章書くの下手くその極みだからってんで今練習してるんよな。言いたいこととか全く抽象的で纏まらず見切り発車で深夜に書き続けてるからこんな糞みたいな構成になってるけど、まあ練習よねって感じで、これも生きる為って本気で思ってる。


仕事一つ一つとってみても最近は生きる為って思いが強い。例えばアルバイトで金稼いでるも生きる為だと思う。今の平和な日本だと、そういう感覚になりにくいとは思う、遊びの金だったり服代だったりもするんだろうけど、やっぱり最終的な理由としてはそこに行き着くと思う。

そこを本気で思う事ってさ、側から見たらめっちゃ変だと思う。すごく変。ただ、こういう極端な考え方ってピンチの時にとても役立つんよな。

例えば自分が道を歩いてると思ってみてください、自分が歩いている横のビルで工事をしています、もしかすると工事に使用している工具が大工さんの不注意で落ちてくるかもしれないって本気で思ってる人と思ってない人。前者は正直心配のし過ぎだと思う。ただ本当に落ちてきた時助かるのはどちらですか?って話。

ほらね?めっちゃたとえ話下手でしょ?笑

もう嫌になるよね。笑


僕たち動物は生きる為に生きてる。

僕たちは偶然資本主義社会に生まれた。

働いて金を稼ぐしか生きる道はない。



なりたい自分とかやりたい事とかそんなのは稼いで余裕出た時に考えたい。まず生きる為に稼いでいくしかない。




得体の知れないショック

https://www.instagram.com/p/BX5bw4zhXiD/

#tokojaws

確か数ヶ月までTwitterかなんかで

「何か生み出してる?」って話題があって

それは例えばAmazonで買った服のコメント

でもイイし、映画の批評でもイイし

特段、自分で素材集めて椅子作ったり

何かビジネスアイディアをだしてアウトプットしたり

なんて大それたことじゃなくてイイからって。

何かを自分から生み出すこと自体が

とても人生によろしいと

書いてあって、あぁそれはそうだなって

思ってこのブログを書いている。

忘れちゃったけど前の記事ももしかしたら

そう思って書いたのかもしれないけど

忘れてしまった。そういう訳でとてもつまらないと思うけど

ただ自分が地元に帰って思ったことを生み出したい。


これ上の写真はこの夏のお盆に

実家に帰ったとき友達たちとギャンブル大会して

ボロボロに負けた後、またちゃう友達が

花火やってるってんでそんじゃ俺も行くわと、そういう写真ね。


まあ何気なく喋るわけ、会うのも高校卒業以来とか

そんなレベルだったけどほんの数秒で

あの頃にタイムスリップしたような錯覚さえ感じるくらいに

自然でトゲトゲしてない素敵な時間が流れてった。


僕以外はみんな地元に残って公務員やったり

運送やったり整体師やったりしてる。

「目標は?独立すんの?」とかそんなこと

何にも訊かなかった。

女がどうだとか、あいつちゃんと社会人やってんの?とか

ほんと緩ーい話をコップ一杯に飲んだ。

その時はあと何杯でもいけるなって思ってた。


僕は今東京に働きにでてて地元に帰ると「地元帰ってけえへんの?」と

よく訊かけれるけど「ずっと東京、地元では商売でけへん」と答える。

「あぁそうなんや」と話は終わる。


別に東京に来て自分が変わった訳ではないけど

あのアイドル枕営業で抱いたとか

シャツを第3ボタンまで開けたおっさんが

ブラックな商売自分がやってるって吹聴してるとことか

仕事で力不足って文字で後頭部殴られたりとか

ドロドロした水飲んでるとたまに心底実家の裏の田んぼを

ゆっくりゆっくり散歩してついでに

友達に電話かけてコンビニの前で酒盛りしてくなる。

20歳まで確かにそうしてた。女に振られたら

夜中でも暇な奴に電話かけてドライブしてラーメン食ってたり。



で題名にもしたけど

僕がショックだったのはその「緩い時間」がまだ地元にはあったこと。

緩い時間が僕のルーツであり宝なのに

今、僕はソレを毒だと思っている、決して馬鹿にはしていない。

僕が東京にでて、なに世間を知った気でおんの?とか言われても

そういう話じゃなくてさ、あの時間は麻薬って思った。


僕は今年で26歳になる。

仕事も自分でも不思議なくらい順調であと2、3年したら

今の仕事で独立開業しようと思ってる。

それは必死で生き抜く為、ココで。

ドギマギする様な場面や明日死ぬ?みたいな

そういう鉄火みたい人生を生きたいと思ってるのに

あの緩い時間を2ヶ月も過ごせばもう東京には戻ってこれない。

僕にとっては毒だ、大好きな時間なのに。

もうあの緩い時間を心から楽しむことができないと今回わかって

心の底からショックを受けた。

本当に馬鹿にしたり卑下したりしているつもりはないけど

実家もらって地元のデカめの工場で働いてたら

こんなに必死にならんでも生活できるなぁって思った。

僕もこんな事思ってるのは自分で若いなって思うよ。

けど、そう思った。だから生み出した。

明日になったらまた自分の意見が

変わってるかもしれない、ましてや一年後なんか

180度反転して地元で暮らしてるかもしれない。

そんな事も人間だから余裕であると思うけど

そういう事を思ったから生み出してみた。

そういうお話でした。





プロ野球選手になりたいと相談された話

「先の長い人生ですから、宮本さんに相談したいです。僕はまだプロ野球選手になりたい、諦めては駄目でしょうか」


僕は昨日こう25歳の後輩に相談された。


後輩とは同じ高校で出会いました。彼は一つ下の学年で野球部に入ってきました。一応僕らが所属していた野球部は公立高校ながらも何回かは甲子園を狙える所まで行くくらいの「そこそこ公立やのにヤルやん」と言われるレベル。

ただ私立の強豪校は強いんです、桁違いに。そこは誰がなんと言うと歴然とした線引きがなされていて、試合開始の整列の時なんか立ちはだかる壁でしかありません、腕も太い脚も太い自信に満ちた顔、なんやったらちょっと僕らが見下されているような感覚さえ感じてしまう余裕があるオーラ。レベルが2個3個も上で同じ高校生とは思えませんでした。


まあ練習の内容、練習の質、練習設備の差がモロに出てしまうのがスポーツです。そこに一流の指導者なんかつけて全国の有望な中学生を見て回るスカウトなんかいるんですから鬼に金棒ですよ…


でも僕らはなかなか健闘しました。僕の代の最後の地方予選大会でベスト16です。これは本当に自分たちを褒めてあげたい。ある程度野球知ってる人に話すと、その県で公立でベスト16なら大したもん、ヨシヨシ。ってされるくらいなんです。そして僕らは夏で引退、。彼はあと1年必死のパッチで頑張ってねという時期でした。彼はその代のエースになりました。


卒業してからの道は僕は専門学校に行き1年後就職します。

彼は僕が卒業した(彼らの代は予選大会二回戦止まりだった)1年後大学に入学しました、勿論野球をするためにです。

そこでエースになってバリバリビシビシ打者をなぎ倒していったのかは知りません。多分、なぎ倒していってないでしょう、何故なら今彼はプロ野球選手じゃない。


そして4年後その大学の監督のツテでなんとか社会人野球のある企業に就職し野球をできる環境に身を置けました。彼には相当ハッピーな出来事だったと思います。


「2年で駄目なら2年でドラフトにかからなかったら野球やめようと思います」彼は2年前僕にそう言いました。彼なりにもやめ時というか踏ん切りをつけなければならない社会的な年齢な25歳だったのかもしれません。大卒で25歳ならなんとか転職もできるでしょうし、今従事している企業さんにそのままお世話になるのも大変結構な選択だと思いますし。覚えてる限りでは僕もその時「それがイイ。ここから2年やれなかったらもう才能がない、諦めような」そう言いました。


そして2年が過ぎます。昨日でした。


「先の長い人生ですから、宮本さんに相談したいです。僕はまだプロ野球選手になりたい、諦めては駄目でしょうか」


要約すればそう云った内容のLINEが来ました。最初は「野球が終わったあとの人生の方が長いですから何か考えないといけません。今は英語を学びたいと思っています」そう言った内容でした。

まぁ、僕も社会人7年目なんでこーこーこーはこーこーこーでと、自分で言うのもなんなん?キモない?と思うくらいにめちゃくちゃ丁寧に心身にお答えしました。しかし、彼からのレスポンスは何故か歯切れが悪い……その理由はもう一つしかありません、彼はまだプロ野球選手になりたいと思っているのです。


僕は100%応援できるんですよ。迷いないです。だって野球を1度でものめり込んだ人なら誰でも思うんですよプロ野球選手になりたい」そう本気で思います。僕だって思ってました。もしタイムマシンがあったのなら競馬の大穴レースの発走5分前でも運命の人だと思ったあの彼女が僕の無神経な言動で別れ決意する5分前でもなく、間違いなく小学1年生の4月に戻って近所の少年野球クラブに入って死ぬほど練習します、心の底からそう思います。プロ野球選手になって億を稼ぎます。イイ車に乗って球場まで行き試合でビシバシと活躍しヒーローインタビューで悦に浸る。ついでに可愛いくて知的なアナウンサーと結婚するのです。

そんな夢見て生きてきたから彼の気持ちも痛いほどわかる。


それでも冷静に考えてみて彼は25歳なんです。ハッキリ言ってみれば「賞味期限は切れている」それはそうだと思います。

ただ遅咲きでプロに入った人も現にいてて、それなり活躍しているのは事実なんです。

確率の話をしましょう。まず彼がプロ野球選手になれる確率は0ではない。地球あって秩序があってプロ野球機構があればある意味誰でもなれる。38歳でメジャーリーガーになった人だっている。プロ野球の世界にも46歳からデビューした人もいる。ただのそれは戦後間もない頃ですけど…。

彼にはまだプロ野球選手なれる余地がある、それは言い切れる。プロ野球選手になれない、それは本当に言い切れない。「なれるかもしれない」そんな希望に満ちた言葉が彼にとって本当に最良のアドバイスかはわからない。


「2年で辞めるって言ったよな?」


いやそれは言えない。だってなれるかもしれないから。結局当たり障りのないところに落ち着く。そんなレールが相談をうけた瞬間に僕の脳味噌の中で引かれてました。


僕は多分、いや絶対他人のお話なら「なにそいつまだ25歳にもなって幻想いだいているのか。やめとけやめとけ」そう言っていると思います。

プロ野球選手になる壁の高さは知っている。なったとしても平均寿命4年の世界ですから…。相当何かを持ってないと生き残れるような世界ではありません。彼は手足が長いわけでもなく150キロ投げれるわけでも、キレッキレのウイニングショットを持っているわけでもありませんから。



「まだ上手くなる感覚があるなら諦めないでおこう。なくなったら諦めよう」


そこに落ち着きました。彼も「そうします、今年プロテスト受けます。落ちてもその感覚があれば続けてみます」そう言いました。


ハッキリ言ってダブルスタンダードになります。辞めろと言っても、辞めるわけでもないでしょうし結局のところ彼がガス欠なるまで走り続けないと辞めませんから。


オチなんて全くないけどこのお話はこれで終わりです。本当にプロ野球選手になれたらええなぁ、そう僕は心の底から思います。